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市ちゃんの徒然なるままに
「寺前巌 元衆議院議員が亡くなりました」  2020年6月12日

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今日自宅に帰ると、寺前徹(寺前巌さんの長男)さんから封書が届いていました。

ひょっとして、と思いながら封を切るとやはり写真のような内容でした。

94才でした。心からお悔やみ申し上げます。

本当に長い間お世話になりました。

1969年の初当選の時(私はまだ龍谷大学の図書館に勤めていました)も旧洛南地区委員会の非専従の地区役員の一人として、長期の休暇をとって当選のために頑張りました。

26歳の時でした。寺前巌さんは43歳だったと思います。

のちに京都府委員長になって戦った総選挙。まだ中選挙区制で寺前さんの選挙区は定数5。投票日3日前のある報道機関の予想は第6位。

深夜に「寺前危うし」と全府活動者会議を開いて意思統一すると共に、府下のすべての府役員、地区役員(約千名)に決起を訴える電報を打った事をよく覚えています。(SNSどころかファックスのある家なんてありませんでした)結果はトップ当選でした。

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1996年、小選挙区制が初めて導入された総選挙で京都3区で寺前巌さんが勝利した時のことも忘れられません。(この時小選挙区で勝ったのは高知1区の山原健二郎さんと二人だけでした)

最終盤、不破さんを迎えておこなった伏見区での街頭演説会では寺前さんが喉を痛め一切声が出なかったことを覚えています。

私が国会議員になってからも公私共に大変お世話になりました。私がある重大な任務を固辞していた時も「市っちゃん!わしらが支えるしやってみたらどうや。」と優しい声をかけていただきました。

寺前さんは国会議員になる前は蜷川府政下の京都府会議員でした。しかも京都の中心的地区委員会であった東地区(左京区、東山区、山科区)の地区委員長をやりながらです。

朝は自転車で何時間もかけて「しんぶん赤旗」も配達されていました。

豪快な人柄で任務、仕事に関しては妥協を許さぬ大変厳しい人でした。正直言って怖かったです。同時に人情の厚い気配りのできる心優しい人でもありました。

寺前節と言われた独特の味のある演説も忘れられません。「寺前の絨毯返し」といって、党機関が引いた線引きや様々なプラン、作戦を、「こんな安易なのはあかんやないか、もっとよう考えんと」とひっくり返されたことが何度あったことか。

その瞬間は腹が立つが、全部道理に合っていて説得力があったので文句が言えませんでした。

人の名前や家族構成、自宅などを覚える天才でもありました。
「愛ちゃんはどうしてる?」と会う度に声をかけられました。(私の娘の名前もよく覚えておられました)

どんなに多忙でも入院したり病気の党員や支持者の見舞いを欠かすこともありませんでした。私の結婚式にも母の通夜の時(滋賀の実家まで)も来ていただきました。

毎金曜日の国会からの帰り。京都駅に着いても自宅に直行せず近鉄に乗って丹波橋にある伏見地区委員会に立ち寄り「市ちゃん、病気したり、入院してる人いはらへんか」とよく声をかけられました。

そうすると数日後、入院している党員からこんな電話がちょくちょくかかってきました。

「あの忙しい国対委員長が見舞いにきてくれはったのに、地区委員会は誰もきてくれへんやないか」。

思い出はつきません。まとまらないコメントになってしまいました。頭に浮かぶことを順不同で書き殴りました。

寺前さんのキャッチフレーズであり信条でもあった「政治は国民のために」を実現するため遺志をついで頑張りたいと思います。

どうか安らかにおやすみください。


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