Home Back
ご意見ご要望をお寄せ下さい 日本共産党 副委員長・参議院議員 市田忠義
プロフィール
人・であい
「しんぶん赤旗」を ぜひご購読ください
日本共産党に入党しませんか
定例記者会見
窓
談話など 調査・懇談など 国会質問
映像コーナー
→目次ページへ戻る
市ちゃんの徒然なるままに
『多喜二祭での挨拶』  2020年2月19日

みなさんこんにちわ。日本共産党の市田忠義です。
小林多喜二が、当時の天皇制・特高警察の弾圧 、拷問によって虐殺されてまもなく87年となります。
多喜二が生まれたのは1903年、明治36年ですが、実は、私の母も同じ年に生まれました。そして、その母は父(私の祖父)の仕事の関係で、多喜二が住んでいた小樽、しかもそのすぐ近くで8歳までを過ごしました。偶然とは思えない不思議なえにしを感じます。
今日は、多喜二が自らの生涯をかけた社会変革の事業を引き継ぐものの一人として、この場に立たせていただきました。

私は、多喜二の小説のすべてを深く読み込んだわけではありませんので、私自身が大変印象深く感じている、多喜二の文学と生き方に関わるひとつのエピソードと、ひとつの作品を紹介し、ご挨拶にしたいと思います。


■小林多喜二と志賀直哉との交流

エピソードとは、みなさんよくご存知の多喜二と、作家・志賀直哉の交流についてです。
(私は、京都に長く住んでいましたので、奈良市にある志賀直哉の旧居を訪れたことがあるが、実は、多喜二も、1931年11月にそこを訪問し、宿泊していました。)
志賀直哉は、「白樺派」を代表する巨匠だが、多喜二は、20歳年上のこの作家に傾倒し、学生のとき、何度もファンレターを送っています。志賀の方も多喜二を大変気に入り、多喜二がプロレタリア作家としてデビューした後も、文学潮流の違いを超えて交流していました。

1933年2月20日、多喜二は、特高警察の拷問により命を奪われました。
その日は奇しくも志賀直哉、50歳の誕生日でした。
多喜二の訃報を知った志賀は、自分の日記に、「小林多喜二……(余の誕生日)に捕えられて死す。警官に殺されたるらし、実に不愉快……アンタンたる気持になる」と書き記します。
同時に、志賀はその日記に、「不図彼等の意図、ものになるべしといふ気する」という一言を書き加えました。
プロレタリア作家でも共産党員でもない文壇の大家が、多喜二が権力によって虐殺された直後に、「彼等の意図」、すなわち、多喜二や彼の仲間がめざす目標は「ものになる」と、書き遺したその意義は大変大きいものがあると思います。

志賀直哉のいう「彼等の意図」とは何だったか。
それは、第一に、多喜二と、彼が所属する日本共産党が掲げた、主権在民、戦争反対、基本的人権など、日本社会の民主的改革の要求でした。
多喜二をはじめとする日本共産党員が、どんな弾圧にも屈せず掲げたこれらの要求は、当時は少数者にみえましたが、戦後、日本国憲法に明記され、世界の公理となりました。

志賀直哉の予想した通り、多喜二の「意図」は、まさに「ものになった」、すなわち現実のものになったと言えるのではないでしょうか。

■多喜二の作品『工場細胞』を読む

もう一つ、多喜二の「意図」といった場合、資本主義の限界を乗りこえて、搾取や抑圧、貧困や戦争のない、未来社会に道を拓くという理想も、そこには含まれうるのではないか、と私は思います。

たとえば、多喜二が、1930年に発表した、『工場細胞』という小説があります。

多喜二の故郷、北海道小樽にある、缶詰のカンをつくる工場を舞台にした小説です。そこに出てくる工場は、当時の最新鋭の機械を導入し、アメリカ式の「フォード・システム」によって生産が管理されています。
そうしたシステムのもと、労働者が生産ラインの奴隷となり、長時間・過密労働を強いられる実態を、多喜二はリアルに描き出しています。
また、機械の導入で「不要」となった職工がクビを切られ、その代わりに女性が雇われ、過酷な搾取や不当な差別に苦しめられる様子も、多喜二は描いています。
『工場細胞』の主人公の青年は、資本主義では、「産業の合理化」は、「『労働者』に犠牲を強いて行われる」と述べていますが、その告発は、現代にも通じるものです。

今、AIの進歩や「デジタル革命」を理由に、大企業が行う、“新しい雇用破壊”が大問題となっています。企業との雇用契約なしで、ネットやアプリで仕事を請け負わされる、「フリーランス」「ギグワーカー」などと呼ばれる労働者が急増しています。(この問題は衆議院予算委員会で日本共産党の笠井亮議員が取り上げ、さすがの安倍首相も「こうした働き方が広がることはいいことだとは思わない」と言わざるを得ませんでした)
これらの人には、労災も、最低賃金も、有給休暇も適用されません。解雇も企業側の自由です。非正規労働者よりさらにひどい無権利状態におかれている、こうした人たちが、日本ではすでに300万人を超えています。
「利潤第一」の資本主義のもとでは、機械や技術の進歩が、逆に人間を不幸にする。多喜二の告発は、21世紀の現実をも射抜いています。
そうした現実をただ告発するだけでなく、社会の不合理を変えるため、立ち上がる人々を描くもの、多喜二文学の特徴です。

『工場細胞』でも、主人公たちは、弾圧の目をかいくぐり、試行錯誤をしながら、社会変革の運動を組織していきます。『工場細胞』における労働運動の描き方には未熟な面もあり、多喜二自身、後にそれを反省しています。また「工場細胞」〜いまでいう「職場支部」についても不十分さはありますが、これは時代的制約と言ってもいいでしょう。
しかし、働く人々のたたかいと成長こそ、未来を拓く推進力だという、多喜二の視点は一貫しています。
また、多喜二は、資本主義のもとで進められる、科学技術の応用や、生産の組織化が、社会主義社会を準備する条件となることも、作中に書き込んでいます。

これらは、マルクスが『資本論』で行った解明とも重なるものです。

■多喜二の文学と生涯をつらぬく、「個人の尊厳を守る」という志向

日本社会の民主的改革をめざし、資本主義を乗りこえる未来社会を展望する。そうした、多喜二の文学に貫かれているのは、すべての人が、個人として尊重され、尊厳をもって生きられる社会をめざす志向ではないでしょうか。その姿勢は、彼の生き方にも貫かれている、と言えます。

特高警察に捕まって野蛮な暴力にさらされたとき、多喜二は、自らの人間としての尊厳を守るため、節をつらぬき、死を賭して、確固として屈服しない道を選びました。

戦後、一部の論者が“多喜二は共産党の犠牲になって犬死にさせられた”と、日本共産党を批判したことがありました。この議論は、多喜二を殺した支配権力の暴虐を免罪し、責任を共産党に転嫁する不当なものですが、同時に、多喜二の生き方を冒涜しているものでもあります。

多喜二の戦友だった宮本顕治は、1978年、多喜二没45年の集いで、次のような趣旨のことを述べています。

“もちろん共産党員にも、生きることに反対の人間はいません。多喜二には、お母さんや弟、愛する家族がいた。作家として抱負もあった。しかし、彼は全力をあげて生きるため、不当にそれを妨害する迫害に対して頭を下げなかった。これはある意味でもっとも気高い人間性の発揮です”

?生きることを大事にするが故に、ゆがめられた生き方、自己の信念を裏切る生き方に身を落とさない、そういう態度です?

また、宮本顕治は、「『党生活者』の中から」という論考で、「自分の生命を最高度に生かし、人類と社会発展のために奮闘することこそが、本当の意味での親孝行である」とも語っています。

多喜二の死が、決して「犬死」でなかったことは、多喜二がめざして改革の方向が、日本国憲法や戦後の民主化に結実したことによって証明されました。

また、ここに集まっておられる方々を含め、自由と民主主義を大切に思う広範な方々が、21世紀の現代に、多喜二の生涯と文学を顕彰し、先駆者として語り継いでいることにも、それはあらわれているのではないでしょうか。

今、世界では、格差・貧困の是正、ジェンダー平等、気候危機の打開などを求める若い世代の運動が広がり、資本主義に代わる新しい経済体制を模索する動きも起こっています。

日本でも、立憲主義と平和を守り、くらし応援の経済政策や、個人の尊厳を尊重する政治に転換するための、市民と野党の共闘が成長し、安倍政権と対峙しています。
社会変革の条件は、多喜二が生きた時代よりもはるかに成熟しています。

頑張りいかんでは、安倍自公政権を退陣に追い込み、野党連合政権への道を切り拓きうるワクワクするような胸躍る時代を迎えています。
みなさん、志賀直哉が「ものになるべし」と述べた、多喜二の志と理想を引き継ぎ、ともに希望ある未来を拓こうではありませんか。


〒100-8962 東京都千代田区永田町2-1-1 参議院議員会館513号室 電話03-6550-0513 Fax03-6551-0513
〒537-0025 大阪市東成区中道1-10-10 ホクシンピース102号 電話06-6975-9111 Fax06-6975-9116
2001年12月1日開設  Copyright(c)2001-, 市田忠義
Welcome to Ichida Tadayoshi Home Page. Sorry! Japanese only. Since 2001.12.1
本サイト掲載の記事、写真等の無断転載を禁じます。
本サイトはInternet Explorer6、Netscape Navigator6.2で動作確認しています。