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ご意見ご要望をお寄せ下さい 日本共産党 副委員長・参議院議員 市田忠義
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市ちゃんの徒然なるままに
「終戦から74年」  2019年8月15日

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戦没者追悼式での安倍首相の式辞。
1993年の細川護熙氏以降、歴代首相は式辞でアジア諸国への加害責任に触れ「深い反省」や「哀悼の意」などを表してきた。

しかし安倍首相は、第二次政権発足後、7年連続で言及しなかった。

新しい天皇は「〜過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願う」と述べた。

ところで私は8人兄弟の7番目。しかし8人揃ったことは一度もない。8人のうち4人は戦争と関わって亡くなった。

長男泰一は生まれて一年で栄養失調で亡くなった。(1935年)
三男隆之も栄養失調で三歳で死んだ。(1941年)
三女能富子はあと半年で戦争が終わるという1945年始め、肺結核で他界、14歳だった。

私は1942年12月生まれだが姉の死の記憶はない。

長女多美子もさあこれからという1946年2月、胸を病んで18歳で永眠した。4歳だった私は多美子姉さんにおんぶして遊んでもらったことはかすかに覚えている。「いろは湯」という銭湯にもよく連れて行ってもらった。

その「いろは湯」はいまも残っており、参議院候補者になった時、大阪の龍造寺町まで足を運んだことを思い出す。

母は米寿を記念して自費出版した句歌集『幾山河』のなかでこう記している。

「この八十年余には様々な出来事が去来いたしましたが、なかでも一番辛く悲しかったことは、自らの腹を痛めた吾子を4人も亡くしたことです。母親にとって、吾子を失うことほど残酷なことはありません。

『せめて薬さえあったら』『もう少し栄養のあるものを食べさせることができたら』と幾度思ったことでしょうか。
あの忌まわしい戦争さえなかったらと思うと今も断腸の思いがいたします。」

そしてこんな句が。

「飢えに泣き弾丸に怯えて娘は逝きぬ」

「やせ細るみどり児抱きて聞く御声」

戦後をなんとか生き延びた四人の兄姉もここ数年で相次いで亡くなり兄弟は弟と私の二人だけになった。

句集を読み返しながら、追悼式での二人の式辞を様々な思いで聞いた。

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