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市ちゃんの徒然なるままに
「『鉄道唱歌』とモンゴル」  2018年11月9日

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先月、議会間交流の一環として、参議院副議長らとともにモンゴルを訪問した。

訪問二日目の夜だったと思う。モンゴルの国家大会議副議長招待の晩餐会が迎賓館で行われた。

宴が終わりに近づいたころ、メインテーブルに座っておられた両国の副議長や在モンゴル日本大使などから手招きをされて、後方のテーブルから前に行った。

最後にみんなで「鉄道唱歌」を歌おうというのだ。日本代表でこの歌を歌えるのは年配の私と副議長くらい。

でもなぜモンゴルで「鉄道唱歌」なのか。モンゴルでは「鉄道唱歌」のメロディーに別の意味の歌詞がつけられて歌い継がれているという。

「鉄道唱歌」は「汽笛一声新橋を〜」で始まる1900年に作られた明治時代の唱歌である。母から教わってよく覚えている。

第1集の「東海道編」から第6集の北海道編まである、日本で一番長い歌だ。東海道編だけでも66番まであり、全編で374番まである。(399番という説もある)

ただ1987年に発表された「石坂まさを一人旅して 全国わが町音頭」(3355番)に抜かれて第2位になった。

さて、なぜモンゴルでこの歌が歌い継がれているのか。しかも歌詞は鉄道とは全く関係ない「女性解放の歌」で、国民の誰もが知るフォークダンスの歌になっているらしい。

諸説あるそうだが、明るくテンポのいいメロディーがモスクワに伝えられ、旧ソ連と同じ社会主義国を名乗ったモンゴルに入り、女子解放の歌に化けたと言われている。

ある研究者は「1917年のロシア革命後に、日本がシベリア出兵したことで、大勢の日本人女性が北アジア各地に進出した。日本軍の撤退後、女性たちはモンゴル高原に滞在し、望郷の気持ちで『鉄道唱歌』を歌っていたのではないか」。と書いている。

ノモンハン事件と関わりがある、という説もある。

また、太平洋戦争前に日本が朝鮮を統治していたことや満州に影響を与えていた関係もあってか、それらの地域にも伝わっている。韓国では「学徒歌」と称し、学生啓蒙の歌となっている。モンゴルでは「人類」の題で、女性解放を唱えた歌になっている。また、北朝鮮では「抗日革命歌」として大日本帝国時代の朝鮮独立運動を賛美する内容となっている、と解説している人もいる。

モンゴルから帰国して約一ヶ月、たまたま在モンゴル日本大使館の参事官が日本に一時帰国されていて、訪問団の懇親会が副議長公邸で行われた。

そこで披露されたのが写真の歌。在モンゴル日本大使や大使館員の皆さんが知恵を出して作ってくださったものだが、今から118年も前に作られた日本の歌がこういう形で歌い継がれていることになんとも言えぬ感慨を覚えた。

同時に日本の侵略や植民地支配について、改めて考えさせられたモンゴル訪問でもあった。

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