Home Back
ご意見ご要望をお寄せ下さい 日本共産党 副委員長・参議院議員 市田忠義
プロフィール
人・であい
「しんぶん赤旗」を ぜひご購読ください
日本共産党に入党しませんか
定例記者会見
窓
談話など 調査・懇談など 国会質問
映像コーナー
→目次ページへ戻る
市ちゃんの徒然なるままに
「『鷲手の指 評伝 冬敏之』と冬文学」  2018年9月27日

画像
『冬敏之短編小説集 ハンセン病療養所』が「多喜二・百合子賞」を受賞したのは、2002年2月20日、多喜二の命日であった。

冬は受賞の6日後に肝臓癌で亡くなった。病床での命がけの授賞式に立ち会ったのが、30年来の友人であり文学仲間であった『評伝』の著者・鶴岡征雄と鶴岡夫人の文芸評論家・澤田章子である。

賞状を渡したのは山口富男氏。

発刊は2001年5月10日、翌11日熊本地裁で国賠訴訟の勝利判決があり話題となった著書である。

その頃、この本を読んだ。『評伝』は、それから10数年たった2014年に発刊された。発行直後にも読んだ。さらに最近、「旧優生保護法」によって、本人の同意なく強制的に不妊手術が行われた人権侵害に対する訴訟が、大きな社会問題となっており、ハンセン病問題との関連性からも改めて読み直した。

そこで感じたことは、『評伝』と『〜療養所』は、表裏一体、一体不可分だということである。

鶴岡氏の著書には、冬さんの作品からの引用部分がたくさんあるが、当然、それがどういう背景、思いで書かれたか、という鶴岡さんならではの分析と評価がある。ご両人が文学仲間として、最も長く深い交流があり、お互いに尊敬と信頼があったからこそ書きえた中身だと思う。

その意味で、冬文学と冬さんの生き方、人間像を理解するうえでの最良、最高の著と言っていい。

土井大助(冬敏之の「埋もれた日々」を『民主文学』1968年9月号に転載することを勧めた詩人・作家)とともに、鶴岡さん(当時、「民主主義文学同盟の事務局員)こそが冬さんを陽のあたる場に引っ張り出し、光を当てた功労者と言える。雑誌『季論』の座談会の中に「冬さんは、小説で世に出るまで、26年間もの“埋もれる日々”があったわけですが、私も中学を出てすぐ上京し、15歳から向島の町工場に入り住み込みで働きました。小さい頃から虚弱体質で神経質で気が弱かった。それでいて向こう意気だけは強かった。私の“埋もれる日々“でした。というのも、少年期に小説を書きたいなどというとんでもない野心を持ったばかりに、苦しい思いをしたわけです。冬さんの人生に共感・共鳴していたので 〜」、という鶴岡さんの発言があるが、二人にどこか重なり合う部分があったことがよくわかった。

だから、鶴岡さんの、冬さんの作品や生き様を見る目が、とても優しく思いやりに溢れている。冬文学の真骨頂も、恨み、つらみから出発しながら、民主主義文学会や、土井さん、鶴岡さん、住井すえさんなどとの出会いと交流、何よりも日本共産党への入党を通して、そこを乗り越え、社会的視座を持ってハンセン病患者や自分をみつめるように変わっていったのである。

「思いやりや親切に敏感で、その喜びを文章化するところから冬敏之の文学は芽生えてきた」「人生への恨みつらみが創作意欲の源泉かもしれないが、その底辺には『思いやりと優しさ』の心が清流となって流れているのである」(鶴岡)。

折れ曲がった「鷲手の指」は、国の誤った強制隔離への怒りと告発の象徴である。

文学運動・作品発表の場を得たこと、就職・結婚、父になったこと、普通の人間になったこと。まさに「人間回復」の道こそ彼の生涯であったと言える。

鶴岡さんは言います。「いまもときどき思います。冬さん、あなたは偉かったなあ、と。」

(敬称が付いていたり、いなかったりでお許しください)

〒100-8962 東京都千代田区永田町2-1-1 参議院議員会館513号室 電話03-6550-0513 Fax03-6551-0513
〒537-0025 大阪市東成区中道1-10-10 ホクシンピース102号 電話06-6975-9111 Fax06-6975-9116
2001年12月1日開設  Copyright(c)2001-, 市田忠義
Welcome to Ichida Tadayoshi Home Page. Sorry! Japanese only. Since 2001.12.1
本サイト掲載の記事、写真等の無断転載を禁じます。
本サイトはInternet Explorer6、Netscape Navigator6.2で動作確認しています。