Home Back
ご意見ご要望をお寄せ下さい 日本共産党 副委員長・参議院議員 市田忠義
プロフィール
人・であい
「しんぶん赤旗」を ぜひご購読ください
日本共産党に入党しませんか
定例記者会見
窓
談話など 調査・懇談など 国会質問
映像コーナー
→目次ページへ戻る
市ちゃんの徒然なるままに
「姉の死」  2018年7月1日

今朝、姉が肺炎のためなくなりました。享年87歳でした。

先日の投稿に、多くの皆さんからお見舞いや励ましの言葉をいただきありがとうございました。

二人の息子と 私の弟の三人にみまもられながら静かに、眠るように息を引き取ったとのことです。

いつかはこういう時が来る、と覚悟はしていました。でもやはり、お互いに苦労を共にし、励ましあって生きてきた姉弟が亡くなるのは……。

大阪で生まれ育った姉は8人姉弟の上から二番目でした。

大阪府庁で、のちに夫となる人と知り合いました。しかし戦争により商売成り立たず、再出発を目指していた父だけを大阪に残し、1951年、家族は揃って滋賀の実家に引っ越しました。

母48歳、姉は当時20歳、兄が14歳、弟が5歳、私は8歳でした。(他の姉弟は戦前、戦争直後に、栄養失調や肺結核ですでに亡くなっていました。当時14歳だった兄は10年前に亡くなりました)

貧しいながらも、ちゃぶ台を囲んでの団欒はみんなが前向きに生きてゆく糧となっていました。

父は1953年、大阪で脳溢血で一人さびしくなくなりました。

その後、滋賀の村役場で働いていた姉が一家を支えてくれました。彼氏とは大阪との遠距離恋愛。

結婚したのは1956年でした。家計を支えるために結婚を遅らせた、と聞きました。(その義兄も二年前に亡くなりました)

母と同じように姉も歌が好きでした。

よく歌っていたのは、高峰三枝子の「懐かしのブルース」「湖畔の宿」でした。

おかげで今も、私も宙で歌えます。

♪古い日記の 頁には
涙のあとも そのままに
帰らぬ夢の 懐かしく
頬をすり寄せる わびしさよ
ああ 懐かしのブルースは
涙にぬれて うたう唄

1948年に流行った映画の主題歌でした。姉の好きな歌は、なぜかものがなしい歌が多かったように思います。

これで8人姉弟のうち、ついに生き残っているのは、私と弟だけになってしまいました。

亡くなった姉弟たちは、詳しいことは書きませんが、ある意味、みんな先の戦争の犠牲者ばかりでした。

痛みも、苦しみも無くなった姉。あの世で、ゆっくり休んで、先に逝った、母や夫、姉弟たちと、楽しく語らって欲しいと願うばかりです。

「百万の富よりもなお尊きは 親子団欒(まどい)の夕餉一刻」

「愚痴言わぬ娘の心思いやる 幸ある友の嫁ぐ噂に」

「同僚や上司に惜しまれ嫁ぐ娘の 晴れの姿を亡夫(つま)に見せたし」

「七年を待ち給いたる君の許に 嫁ぎゆく娘の倖祈る」

いずれも、亡き母の歌です。

〒100-8962 東京都千代田区永田町2-1-1 参議院議員会館513号室 電話03-6550-0513 Fax03-6551-0513
〒537-0025 大阪市東成区中道1-10-10 ホクシンピース102号 電話06-6975-9111 Fax06-6975-9116
2001年12月1日開設  Copyright(c)2001-, 市田忠義
Welcome to Ichida Tadayoshi Home Page. Sorry! Japanese only. Since 2001.12.1
本サイト掲載の記事、写真等の無断転載を禁じます。
本サイトはInternet Explorer6、Netscape Navigator6.2で動作確認しています。