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ご意見ご要望をお寄せ下さい 日本共産党 副委員長・参議院議員 市田忠義
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市ちゃんの徒然なるままに
「母の日に思う」  2018年5月15日

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おとといは母の日だった。私の母は多喜二や「みすず」と同じ1903年(明治36年)生まれだから、生きていたら115才になる。

他界して26年。

母と暮らした近江が懐かしい。五個荘の古い家(祖父は戦前の県会議員、村長などを務めた)で、丸いちゃぶ台を囲みながら裸電球の下で食べた夕飯を思い出す。少しのご飯と佃煮くらい。おかずはなかった。でも美味しかった。

まだおくどさんがあった。もちろんお風呂は五右衛門風呂。井戸水 が冷蔵庫代わり。つるべ、蚊帳の時代。蛍が蚊帳にとまって幻想的だった。

父を早く亡くし 、極貧生活だったが妙になつかしい。

母と私 、3つ下の弟と三人の夕食。兄は京都に就職、姉は大阪に嫁いでいた。

まだテレビのない時代。我が家には 、戦前からの時々音が途切れる大きなラジオがあった。手で叩くと音が戻った。

もちろん電話があるのは集落に一軒ぐらい。

母は美声ではなかったが歌が好きだった。今から思うと随分音程がしっかりしていたように思う。音楽はいつも甲だと言っていた。

ちゃぶ台を囲みながら家族みんなでよく歌を唄った。小学校唱歌、童謡、戦前、戦争直後の歌謡曲…。レパートリーは結構広かった。
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「空にさえずる鳥の声〜」(天然の美)、「青葉茂れる〜」「さぎりきゆる〜」「緑の丘の赤い屋根〜」「私がおねむになった時〜」「初恋の涙に滲む〜」「青い背広で心も軽く〜」「雪の振ふる街を〜」……。

母の愛唱歌は私の愛唱歌でもある。

「百万の富よりもなお尊きは 親子団欒(まどい)の夕餉一刻(ゆうげ ひととき)」

「病む足も忘れ夕餉の一刻は ギターに合わせ我も唄えり」

母は小説や短歌、俳句も好きだった。ちゃぶ台を囲みながら、与謝野晶子、九条武子、柳原白蓮、丹羽文雄、井上靖、宇野千代、吉屋信子、芭蕉、一茶、のことなどについてよくしゃべった。

残念ながら百合子や多喜二の話はなかった。

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母の他界した年までまだ15年ある。明治生まれの気骨だろう。「貧乏を売り物にするな、誇りを持て。人に優しく」とよく言っていた。

母の教えを忘れずに生きていきたいと思う。

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