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ご意見ご要望をお寄せ下さい 日本共産党 副委員長・参議院議員 市田忠義
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市ちゃんの徒然なるままに
「幾山河」  2017年6月12日

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昨日は亡き母の114回目の誕生日でした。1903年6月11日生まれ。多喜二、金子みすゞも同じ年の生まれです。

いまから24年前、90歳の誕生日の二日前に他界しました。私が京都府委員長時代、50歳の時でした。

母は米寿の年に、句歌集『幾山河』を自費出版しました。

「発刊にあたって」にこう記されていました。「この80年余には様々な出来事が去来いたしましたが、中でも一番辛く悲しかったことは、自らの腹を痛めた吾子を四人も亡くしたことです。母親にとって、吾子を失うことほど残酷なことはありません。
"せめて薬さえあったら""もう少し栄養のあるものを食べさせることができたら"と幾度思ったことでしょうか。
あの忌まわしい戦争さえなかったらと思うと今も断腸の思いがいたします」。

句集にはこんな句が。

「飢えに泣き弾丸に怯えて子は逝きぬ」。

「この悲しみと怒りは決して私の母だけのものではありません。先の大戦で三百十万人の日本国民が犠牲になりました。これは当時の日本国民の共通の悲しみであり、怒りでした。"二度と戦争はしてほしくない"。その思いが凝縮されてできたのが憲法9条ではなかったでしょうか。絶対に変えさせるわけには参りません」。演説会で私はよくこういう話をします。

また、日本共産党への入党をうったえるときには、「母は私に、"忠義!どんなに悪いことをしてもいいが、アカだけにはなるな"といつも言っていました。1903年(明治36年)生まれの母ですから、日本共産党といえば、アカ、非国民、国賊と教えられていたのでしょう。ところがその母が、80歳の時に自分もアカになったのです。可愛い吾子を奪ったあの戦争に命がけで反対した党があったこと、それが日本共産党だと知った時でした。そして、息子がやっていることに間違いはないだろう、という信頼がありました。80歳から89歳までの短い党員人生でしたが、母は立派な人生を歩んだ、といまでも誉めてやりたい気持ちでいっぱいです」。
こんな歌もありました。

「夜学び昼は勤めて得しお金
肉など買えと送りてくれぬ」

「現代版治安維持法」である共謀罪法案、憲法9条改悪は絶対に許してはならない。あらためて固く心に誓いました。

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