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ご意見ご要望をお寄せ下さい 日本共産党 副委員長・参議院議員 市田忠義
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市ちゃんの徒然なるままに
「1955年卒業・小学校同窓会」  2017年3月28日

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私は今から62年前に、滋賀県神崎郡旭村・旭小学校(当時・今は東近江市五箇荘小学校)を卒業した。

このほど、その同窓会があった。幹事のはからいで、六年生の修学旅行が鳥羽、伊勢地方だったので同じコースをバスで廻り鳥羽で泊まった。

まくら投げこそできなかったが、62年前に戻り若返った気分になった。76名の同窓生のうちすでに亡くなった人が19名もいる。行方がわからない人が4人。集まったのは16名と恩師、合わせて17名だった。

ほとんどがリタイアしていて現役は私ぐらいだった。歩んだ道はそれぞれだし、思想も生き方も異なるが、やはり森友、豊洲と共産党の頑張りに話題が集中した。

「市田をこの頃テレビで見ないのは寂しい。また病気にでもなったのか、と心配していた」とみんなから言われた。書記局長を退任したことを知らない人が多かった。でも大腸ガンのことはみんな覚えてくれているのだ。

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食事の後はカラオケもやらず、校歌を歌ったぐらいで(チョット残念だったが)恩師を囲んで遅くまで思い出話に花を咲かせた。

懐かしい写真を持ってきてくれた人もいる。ひと回り上の私の姉は、当時旭村の役場に勤めていた。私も持っていない当時の姉の写真を持ってきてくれた人もいる。(後列右から2番目が24歳頃の姉)先日夫を亡くし、大腸ガンの手術をして抗がん剤治療中の86歳の姉(守口市在住)にこの写真を送ってやろうと思う。

父方の祖父は戦前旭村二代目の村長を務め、その後県会議員にもなった。鋼平という。滋賀の実家は庭も広く大きな木が生い茂っていたので、近所の友達がよくセミ捕りにきた。

「鋼平さん、蝉捕まして。まだいっぺんや」となんども唱和しながら忠義君の家によく行ったもんやな、とみんながこもごもに語った。60年以上も前のことをよく覚えているものだ。私の生まれる前に他界しているので友達の中で祖父のことを知っている人は誰もいないが、名前だけは村中に知られていたらしい。それに市田性が多いので、ファーストネームで呼ぶ習わしがあった。その家も人の手に渡って今はないのが少しさびしい。

「これからは体が勝負やな!」「次は2年後にまた会おう」。そう言って名古屋駅でみんなと別れた。

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