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ご意見ご要望をお寄せ下さい 日本共産党 副委員長・参議院議員 市田忠義
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新春対談 心に太陽 唇に歌を

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 日本共産党・市田忠義書記局長(参院議員)と各界の著名人が対談する新春恒例企画。今回の相手は、日本歌手協会会長のペギー葉山さんです。プロ歌手560人以上が所属する同協会で、女性初の会長として活躍するペギーさん。対談は、歌の魅力から、原爆のこと、文化政策、在日米軍基地、介護や福祉問題にまで広がって…。

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 ―ペギーさんは、昨年11月に開かれた「第36回歌謡祭」(日本歌手協会主催)の協力要請のために、9月に共産党本部を訪れ、市田さんと懇談。市田さんは、招待をうけて200人近くのプロ歌手が出演した「歌謡祭」に参加しました。

 ペギー 先日は、「歌謡祭」に来ていただきありがとうございました。

 市田 歌謡ショーを見るのは、本当に久しぶりでした。あれだけの歌手を集めるのは、実行委員長として、大変だったでしょうね。

 ペギー はい、大変でした。終わったあとはほとんど死んでいました。(笑い)

 市田 ブログを見たら2キロやせられたとか。

 ペギー そうなんです。また戻りましたけど(笑い)。今回は、「地球を歌で救えたら」がテーマで、地球環境保護チャリティーコンサートでもありましたので、趣旨をちゃんと申し上げて、協力していただけないかって、一人ひとりに書いて。

 市田 僕が見たときは、ペギーさんは、「雲よ風よ空よ」をお歌いになった。すてきでした。

 ペギー ありがとうございます。長い間、あの歌を歌っているんです。市田さんがお好きな歌は?

 市田 僕はラジオ歌謡の世代なんですよ。だから、「あざみの歌」や「白い花の咲くころ」などの叙情歌が好きです。

 ペギー あのころの歌は、いい歌がたくさんありますよね。

殿堂つくる夢

 市田 ペギーさんが(ヒット曲の)「南国土佐を後にして」を歌われたのは、私が、中学3年生のころでした。

 ペギー 私の方がずっとお姉さんですね。(笑い)

 市田 いやいや、ちょっとだけ(笑い)。僕は初めて知ったんですけれども、あの歌は、戦争中に高知から中国に派遣された部隊の、望郷の歌なんですね。もともとの歌詞は「南国土佐を後にして 中支へ来てから幾年ぞ」だったとか。

 ペギー そうなんです。高知から派遣された、「鯨部隊」という歩兵軍団が激戦地に行かされて、露営をしながら、何気なく、みんなが誰ともなく歌いだした歌です。「土佐の高知のはりま屋橋で 坊さんかんざし買うを見た」なんてね。戦争中ですから、そんな軟弱な歌を歌って、と怒られたかもしれないのに。ですから、私は祈りの歌、反戦歌だって言っているんです。

 市田 作家の五木寛之さんが、“たかがはやり歌、されどはやり歌。歌は人生の力だ”と言っておられますが、歌と時代というのはすごく結びついていますね。

 ペギー 歌ってね、そういうものなんです。

 市田 一番庶民に親しまれてきたのが、ある意味では流行歌です。この前、共産党本部に来られたときに、歌謡曲の殿堂をつくるのが自分の夢だとおしゃっていたのが、大変印象に残りました。

市田 広島でおじいさんを亡くされたんですね。

ペギー 原爆投下は人間のやることじゃないです。

子どものため

 市田 ところで、ペギーさんは、おじいさんが広島の原爆で亡くなられたんですって。

 ペギー はい。親せきもずいぶん被爆手帳を持っています。父も母も広島出身でした。東京から疎開するときに、父が「広島は軍港があるから危ない」って、福島に行きました。広島に行っていたら、私はいま、いなかったかもしれません。私、おじいちゃんがとても好きだったんでね、いつもいろんなことを手伝っていたものですから、本当にショックでした。

 市田 広島の被爆2世(名越史樹ちゃん)の歌「ぼく生きたかった」も、歌ってこられましたね。原爆への思いが強烈にあるわけですね。

 ペギー 私はもう、ひどいことだと。原爆投下は人間のやることじゃない。詩曲の「ぼく生きたかった」を歌ったのは、ちょうど息子が生まれたころだったんですね。ですから、子どものためにも、こんなことはないようにしてほしいという気持ちがありました。この間、アメリカの駐日大使が広島の原爆資料館にいらした。オバマ(大統領)さんがいらっしゃる前の露払いみたいな感じもあると思うんですけれど。世界の人が、あそこに行くべきだと思っています。

 市田 オバマさんが、初めてアメリカの大統領として「核のない世界」ということをプラハで演説しました。広島・長崎への原爆投下の道義的責任を歴代のアメリカ大統領の中で初めて口にしたということは、僕は意味のあることだと思います。

 ペギー あれは勇気ある発言だと思います。アメリカって在郷軍人の力が強いですから。

 市田 ペギーさんは、労音の創作ミュージカルでも主演して歌われてきましたね。中国の「劉三姐」(りゅうさんちぇ=※注)や、プロレタリア文学の葉山嘉樹の小説をもとにした「傷だらけのギター」にも主演されています。

歌謡祭であいさつするペギー葉山さん。今回の歌謡祭には、(後列左から)菅原洋一さん、二葉百合子さん、橋幸夫さん、雪村いづみさんらが出演しました
歌謡祭であいさつするペギー葉山さん。今回の歌謡祭には、(後列左から)菅原洋一さん、二葉百合子さん、橋幸夫さん、雪村いづみさんらが出演しました
 ペギー 労音さんには本当に育てていただきました。劉三姐には「100まで生きましょう」という愛のテーマがあって、いまの高齢化社会の応援歌として、よくステージで歌っています。「傷だらけのギター」は、五木寛之先生が詞を書いてくださいました。そのご縁がまだ続いています。今度、NHKラジオ深夜便のテーマミュージックを私が歌うのですが、今回、五木先生が作詞してくださったんです。「夜明けのメロディー」という曲で、もうすぐ発売されます。

※「劉三姐」=中国に古くから伝わる民話を取り上げた中国歌舞劇をモチーフにしたミュージカル

ペギー 芸術、文化の政策 薄くなるのが心配

市田 削るべき予算はほかにあるんです。

世界の流れは

 市田 ペギーさんは、歌手協会の初めての女性の会長なんですね。

 ペギー 歌手協会は、1963年に設立された団体です。プロ歌手の権利や財産、名誉を守るとともに、今回の歌謡ショーのように災害支援のチャリティーコンサートなどにも積極的に取り組んでいるんです。

 市田 僕は、いま超党派の国会議員でつくる「音楽議員連盟」(音議連)の副会長をやっているんですが、先日、芸団協(日本芸能実演家団体協議会)会長の野村萬さん(狂言師)とも懇談して、政治に対する要求もお聞きしました。音議連は、舞台芸術全般に関連するいろんな団体のみなさんと、芸術振興や芸術家の権利を守るための法律を作ったりする議連なんです。

 ペギー あら、そうなんですか。この間の、政府の「仕分け作業」を見ていると、芸術とか文化に対する政策がいっそう薄くなるのではないかと心配しているんですが。

 市田 あの「事業仕分け」というのは、国民の目に見える形で予算をオープンにするという点では、世論調査などで支持率が高いのですが、削るべきものを削らず、削ってはならないものを削ろうとしていますよね。芸術や科学研究、スポーツなどは、もうかるかどうかで判断してはいけない分野なのに、乱暴に削ってますね。

 ペギー 私もすごく矛盾を感じます。無駄なお金は確かに削ってもいいんですが、芸術、文化、スポーツというのは、ある程度、余裕がないと育たないんです。よその国は、お金出しているじゃありませんか。文化というものに、もう少し理解がほしいなと思います。

 市田 いま沖縄の普天間問題が大きくなっていますが、「思いやり予算」というのがありましてね。べつに日本が負担をする必要がないのに、アメリカに受け取ってくれという予算が、年間二千数百億円あるんですよ。そういうのは削ろうとしない。

 ペギー そうですよね。

 市田 ほかにも、みなさんの税金を政治家が山分けして自分らの党の運営に使う政党助成金というのが320億円ある。私たちはもらっていません。それは、福祉や教育や文化に使うべきだという立場ですが、事業仕分けをするんだったら、そういうところにこそメスを入れるべきです。

 ペギー そこだけ見えないみたいな感じになっちゃって、おかしいと思いますよね。基地の問題は長い間の問題でしょう。戦争に負けてしまってから、もう65年たっていますから。その間に、もう少しうまくアメリカと交流しながら話しあうことはできなかったんでしょうか。

 市田 そうですね。世界を見ると、1960年代の初めには世界の67%の人が軍事同盟下で過ごしていましたが、いまは実態として機能している軍事同盟はごくわずかで、人口にしたら16%くらいなんです。世界はもう国際的なもめごとを話し合いで解決しようという方向が大きな流れになっている。なにかあれば軍事力で、というのは時代遅れですよね。

 ペギー 昔のことですよね。

 市田 私たちは別に米国を敵視はしていませんが、従属的な同盟関係はよくないといっています。安保条約を廃棄して、日米友好条約を結んで対等・平等の関係をつくろうという立場です。

 ペギー ドイツはどうなんですか。あの国は、日本と同じような運命だったし、いろいろ問題を抱えていたんでしょう。

 市田 米国に対しては、非常に自主的です。たとえば、イラク戦争の時に、NATO(北大西洋条約機構)に加盟している国のほとんどは、イラクに軍隊を出したけれども、ドイツやフランスは出しませんでしたからね。フィリピンは、昔、米国の大きな基地があったんですが、議会で決めて、1992年に平和的に軍事基地を全部撤去させたんです。日本も本腰を入れて、言うべきことを言う国になっていかないといけません。

 ペギー 本当に大事なことだと思うんですよ。私たちの世代は、確かに日本が焼け野原になって、何にもなくなったところで、アメリカが夢をくれたと思いますよね。だけど、もう独立したんです。今の議員さんたちは、みなさん、若い世代でいらっしゃるから、言うことはきちんと、「ちょっと待ってください」って言うことがあっていいんじゃないかと思います。

 市田 カナダの外務大臣が、「親しい友人ほど率直にものを言う」ということをいったことがあるんです。カナダは米国と一番、仲の良い国なんですけど、カナダもイラク戦争の時に軍隊を出さなかったんです。そういう国は親米国家といわれる国でも多いんです。

 ペギー 日本政府はなんか優柔不断というかね。

 市田 もっと自分のポリシーをきちっと持って、自分の頭で考えて、日本の進むべき方向は、自分たちで考えるというふうにならないとだめですね。

 ペギー 恐れないで、本当に国のためを思って、行動する人がほしい。

 市田 今、沖縄で問題になっているのも、へっぴり腰で、腰が定まらないやり方ではなく、もっと堂々と、本腰を入れて、沖縄県民の立場に立って、ものを言うということが、大事だと思うんです。

 ペギー 主義主張ってことよりも、もっと、人間同士で、どうしたらいいか、話し合ってほしいと思いますね。

ペギー 夫の介護6年。3カ月で病院出されて…

市田 人の命をまもることは一番大事なこと

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 市田 ペギーさんは、5年前に亡くなられた夫の根上淳さん(俳優)の介護体験を、『歌う看護婦』という著書で書いておられます。在宅介護は何年だったんですか。

 ペギー 6年でした。もともと糖尿病で、脳梗塞(こうそく)で倒れて。私はわりとネアカなんですが、夫が俳優として仕事ができないといわれたときはショックでした。今の医療制度は、すごく短い期間で病院を出されるでしょ。私の場合は3カ月でした。大変でしたよ。しかも、夫は介護認定するときだけシャキッとして、生年月日とかスラスラいうもんだから、要介護度は「2」で。寝たきりになってやっと「4」になって。介護認定のはざまの時期で、私は区役所とか、走り回りました。

 市田 人間の命とか医療・健康は、国の政治にとって一番大事なことだと思うんです。それなのに、いの一番に予算を削る。この間、毎年社会保障費を2200億円削ってきました。介護保険の認定制度もコンピューターにやらせました。医療や介護の専門家が見て、どのくらいの介護が必要か判断すべきなのに、機械的にやるもんだから、寝たきりの人は動く必要がないから「自立」と認定される。あまりにひどいので、共産党も追及して見直すそうですが。

 ペギー 物扱いですよね。心がないのよ。頭にくることばっかり。

 市田 仕事しながら在宅介護をされるのは大変だったでしょうね。介護のために仕事を辞めた人は14万人いるんです。

 ペギー すごい問題ですね。老老介護の問題も、なんとかするべきです。

 市田 特別養護老人ホームに入る資格があるのに、入れないで待っている人が42万人です。そういうものこそ、もっとつくるべきです。

 ペギー みんな戦後の日本を立ち直らせてきた人たちです。なのに、うば捨て山ですよ。

 市田 根上さんは、学徒動員世代ですね。

 ペギー 戦争があと10日続いてたら沖縄に行って特攻隊で出撃していたでしょうね。母校の法政大学に特攻隊で亡くなった学友を弔う碑を建てました。クラスメートがずいぶん亡くなったんですね。キャンパスに慰霊碑を建てるのが、最後の仕事になりました。96年に建てられた碑には「学園と学問を放棄せざるをえない不幸な時代があった…君たちは決してそのような青春を送ってはならない」と中国語、日本語、ハングル、英語で書いてあります。

ペギー 一度、叙情歌を聞かせてください。

市田 プロの前ではバチがあたります。

真心を込めて

 市田 最近発売されたペギーさんの「全曲集」のCDを、通勤途上で、5回くらい聞かせてもらいました。歌は脳を活性化させるうえでも大事ですよね。ですから、今年も、「心に太陽を、唇に歌を」の気持ちをもっていたいと思っています。

 ペギー これからのことで言うと、歌謡曲の殿堂をつくるというのは夢なんですけれども、歌の価値を、もっとみなさんに知っていただけるように歌手協会としてはがんばりたいと思います。私個人は、あと3年で60周年ですけれど、何十周年だからということではなく、一つ一つ、いただいたお仕事を真心込めて一生懸命やろうと。高ぶらず、おごらず、マイペースでやっていきたいと思います。

 市田 今年は、共産党の第25回党大会という、一番共産党にとって重要な方針を決める大会を、1月13日から開きます。日本の社会をどう変えていくかという方向性を決める大会です。それから7月が参議院選挙で、私自身が比例の候補者です。総選挙では、得票は伸ばしたんですけど、議席は現状維持にとどまったので、なんとしても躍進をかちとりたいと思います。きょうはお忙しいところ、ありがとうございました。

 ペギー とんでもございません。ありがとうございました。ご活躍ください。応援しておりますので。一度、叙情歌を聞かせてください。

 市田 そんな。プロの歌手の前で。バチがあたります。(笑い)

2009年12月27日・2010年1月3日合併号より

日本歌手協会会長 ペギー 葉山さん

ぺぎー・はやま=1933年東京都生まれ。青山学院女子高等部在学中に専属ジャズ歌手となり、52年キングレコードから「ドミノ」でデビュー。58年「南国土佐を後にして」が大ヒット。ほかに「学生時代」「ラ・ノビア」「ドレミの歌」など多数のヒット曲を歌い、テレビでは「歌はともだち」「ひらけ!ポンキッキ」や、NHK「紅白歌合戦」の司会などで活躍。07年日本歌手協会会長に就任

日本共産党書記局長 市田 忠義さん

いちだ・ただよし=1942年大阪府生まれ。63年日本共産党入党。立命館大学(夜間学部)を卒業後、71年から共産党の専従職員。京都府伏見地区委員長、京都府委員長を歴任し、98年参院議員に当選。2000年から中央委員会書記局長。著書に『人情対談 平和がいちばん!!』など

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