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2006年3月21日(火)「しんぶん赤旗」

多くの被害者 救済まだ

水俣病認定50年

厳しい認定基準が壁

参院委 市田書記局長、政府を追及


 水俣病の公式確認から五月一日で五十年になります。「公害の原点」と言われながらも、被害の全ぼうは分かっておらず、数千人―数万人の被害者が救済されていません。日本共産党の市田忠義書記局長は参院環境委員会(十六日)で、被害者救済を遅らせる国の姿勢を追及し、全被害者のすみやかな救済を求めました。


写真

(写真)水俣病被害について質問する市田書記局長=16日、参院環境委

症状が複数必要

 これまでに水俣病と認定された患者は三千人。救済を求める被害者を国の厳しい認定基準の壁が阻んできました。

 二〇〇四年十月、最高裁は、被害の拡大防止を怠った国と熊本県の責任を認め、より幅広く救済する判断基準を示しました。判決は、多くの被害者に希望を与え、判決後、三千七百人が新たに認定を申請しました。

 国の認定基準をクリアするには、感覚障害や運動失調など複数の症状の組み合わせが必要です。一方、最高裁判決では、一定の条件があれば感覚障害だけで認められるとしました。

 新たに認定申請したうちの九割は、初めての人たちです。熊本県で三十三市町、鹿児島県で十五市町に及び、これまでの公害認定地域を大きく上回りました。

 市田氏は、住民の健康調査を行った水俣協立病院の医師が、「検診を受けた九割以上の人が、私たちの基準で水俣病。三割から五割の受診者は、最高裁はおろか、環境省の基準を満たしている」と述べていることを紹介。「いまだに患者が多数いることを示している。(チッソが排水を垂れ流した)不知火海沿岸全域に広がっている」と指摘しました。

環境相の暴言に

 どうして、これほどまでに、初めての申請者が多いのでしょうか。市田氏は、政府の認識をただしました。小池百合子環境相は「(認定)申請の機会に、自らの健康についても調べておきたいということです」などと答弁しました。

 「なんという環境大臣か。そんな答弁があるか」。市田氏は思わず語気を強めました。

 「大変な差別の中で、もんもんとしていた人が、判決に勇気を得て思い切って(申請を)出した。この気持ちを大臣は真正面から受け止めるべきだ」

 市田氏は、現地調査で被害者から寄せられた証言(別項)を示し、「最高裁の判決をうけ、自分の権利を主張しようという人が増えた、こういう認識に立つべきだ」と迫りました。

国が調査「検討」

 小池環境相の姿勢は、国の対応と重なります。三千七百人の申請者全員が、審査すらされず、たなざらしにされています。半数近い千七百五十人が、申請から半年、一年を経過しました。

 審査が進まない背景には、熊本、鹿児島両県の認定審査会が事実上、崩壊状態に陥っていることがあります。

 市田氏は、審査委員をつとめる医師が「環境省の認定基準に従って棄却しても、裁判されたら証人として証言せざるを得ない。裁判所では水俣病となり、どうしようもない」と述べていることを紹介しました。

 現在の状態が続けば行政の不作為(あえて積極的に行動しないこと)が問われ、違法状態になります。判断基準の見直しをせず、二重基準のままとしている国の責任も厳しく問われることになります。自民党内には、認定基準をそのままにして、国に水俣病審査会を設置して認定作業をすすめる案が浮上しています。

 市田氏はこの動きに「認定申請した被害者を切り捨てることになる」と批判しました。

 国は不知火海沿岸地域の疫学調査、環境調査もせず、被害の全ぼうをつかむことを怠ってきました。市田氏は、熊本県が要望する環境・健康調査を実施するよう要求。小池環境相は「県と調整し検討していく」とのべました。

全被害者を救え

 市田氏は最後にこう迫りました。「どういう形で、五十周年を迎えるかが問われている。被害の全ぼうを明らかにすることなしに、すべての患者の救済はできない。すべての被害者に謝罪するというのなら、被害者の思いを重く受け止めよ」


人生めちゃくちゃ

 Aさん(44) 6歳のころからよく転んだ。仕事につけず、この10年、寝たり起きたりの生活。自分は水俣病ではないかと思った。小さいころからいじめられたりして、自分の人生がめちゃくちゃになった。チッソと国の冷たい対応があったからこんな状態になった。おとなになって悔しさだけがある。

目も手も不自由で

 60代の女性 母が認定申請を許してくれなかった。目も手も不自由なので今回申請した。祖父も父も魚をとって、ブタにやったらブタが死んでしまった。私たちも魚を食べて生活した。としをとって足がつることが多くなってきた。


 水俣病 五六年五月一日に最初の患者を公式確認。熊本県水俣市のチッソ水俣工場の排水に含まれたメチル水銀が魚介類に蓄積、それを食べた漁民らが発病しました。多数の患者が亡くなったほか、長年にわたって視野狭窄(きょうさく)や手足の感覚障害などに苦しめられています。国は長年、被害者を「水俣病」と認定することを避けてきました。被害者は、六九年から救済を求め各地で裁判を起こしてきました。


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